このたび、奈留島HPのライターとして活動することになりました、北川栄惠(さかえ)と申します。東京の一番東、下町情緒あふれる葛飾区からやってまいりました。
映画「男はつらいよ」の主人公でもある寅さんと同じく、わたくし~生まれも育ちも葛飾区であります。
ただひとつフーテンの寅さんと違う点は、生まれて此の方、葛飾区を出て生活をしたことがないという点です。
そんな私が、人生半ばにして、生まれて初めて東京の地を離れ、奈留島で生活することになりました。
<奈留島との出会い>
奈留島の存在を知ったのは、今から20年以上も前、当時勤めていた職場の同僚(男性)が五島列島の出身だったことがきっかけでした。初めて聞く五島列島という名前。
5つの島で成り立っているから?と思ったり、いつも暖かく沖縄のようなところなのだろうな~と南国イメージを持ったり。なにしろ島に関しての正しい情報を知らずにおりました。
が、縁あって、この男性と結婚することになり!私にとって未知の世界であった五島列島・奈留島が、とても近い存在になっていくのです。
主人の帰省に伴い、初めて訪れた奈留島。
「思ったより近い!」とみなさんが言われるアクセス方法がある中、大の飛行機嫌いであった若かりし頃の私は、東京から新幹線で博多までの移動を選択。そのあと、船中で1泊するフェリーに乗りこみ、奈留島の地へ向かったのです。家を出発してから、かれこれ17時間!遠いとは聞いていたけれど、こんなにかかるとは!と思ったものでした。
ただ、長時間の移動は決して苦痛ではなく、とても楽しいものでした。
とくに船の旅。しかも船中泊なんて経験したことがなかったので、すべてが新鮮でワクワク。でも、それ以上に、私の気持ちを高ぶらせたものがあります。それは、デッキから眺める光景でした。
夜中に博多港を出発した船は、朝に奈留島に到着します。
その30分前のこと。お天気もよく、せっかくだから潮風にあたろうとデッキに出た瞬間、今まで見たこともない景色が私の目に飛び込んできたのです。
真っ青な空、海に点々と浮かぶ島々。そのあいだを、ゆっくりすすむ船。その船の轍(波)。
もう、あまりにも美しくて、口をポカーンとあけて、景色をただただ眺めていました。
「こんなに美しい場所が、日本にもあったなんて!!」大げさに聞こえるかもしれませんが
今まで味わったことのない感動が押し寄せてきたのです。とても幻想的で、そして穏やかでした。こうして書いていると、当時の感動がよみがえります。
<奈留島への想い>
数年前から、奈留島を訪れるたびに、「あれ?若い人とすれ違うことがあまりないな~」、「町に活気がないな~」などと、とても余計なお世話なことを考え始めたのです。
一度気にすると、もはや奈留島のことが頭から離れません。
しまいには、このまま過疎化が進み、主人の生まれ故郷が無くなってしまったら、こんな悲しいことはない!なんとかしなくちゃ!!と、おせっかい心が芽生えました。
居ても立っても居られなくなった私は、東京で、奈留島元気プロジェクトなるものを一人で立ち上げ、活動をし始めたのです。
まず、奈留島のイメージを女性対象にアンケートを取ったり、奈留島出身の方を紹介していただいて私の想いを伝えたり、町が活気づくにはこういうことをしたらよいのではないかと地元の方にお話しさせていただいたり。
小さな小さな活動をする中で、地元の方とのご縁も生まれ、今回このようなお仕事を紹介していただく運びとなり、奈留島で生活することになりました。
現在は主人の実家で、お義父さんと二人暮らしをしています。
<奈留島での活動>
奈留島の魅力をお伝えするライターの他に、町の活性化を目的として「奈留de Her部」という大人の部活動を立ち上げました。
今年の4月から育てているハーブで、特産品とコラボしたり、奈留島ブランドの商品を作る夢に向かい、こちらも少しずつ活動しています。また、空き家を利用した宿泊施設のOPENを目指し、色々な方のご協力のもとプロジェクトをすすめています。
奈留島を元気にすること、そして一人でも多くの人に奈留島の存在を知ってもらい、訪れてもらうことが、私の活動を通してできたら最幸です。
都会からやってきた新参者ですが、末永く、どうぞよろしくお願いいたします。
我が故郷を気に入ってくれて、ありがとうございます。仕事がなくなり、名古屋に来て10年、あっと言う間でした。年老いた母親も2年前に他界し、自分の家がどうなっているのやら., 奈留島の生活を満喫して長生きして下さい。
夏井様 ご返信遅くなり大変失礼いたしました。mikkeを読んでくださりありがとうございます。奈留島に住所を移してまだ数か月ですが、奈留島愛は主人より負けていないかも??です(笑)故郷を懐かしんでいただけるよう、これからも奈留の魅力を発信していきたいと思います^^